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From: 樋口麗陽 Higuchi Reiyou - 嗚呼日本未来記 Ah, Japan! Future Chronicle

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Foreword Bearbeiten

本書の公刋について

 『日本は将来何うなるだろう?』
 『日本は今後いきづまる事はないだろう?』
 斯ういふ一種の不安は、今日、日本國民の何人の心にも、不斷に動いてゐる不安である。この不安は、一面非常に漠然たるものゝ様えあるが、また一面においては非常に切實な要求に發した不安である。殊に最近の政治的、社會的、經濟的、理想的諸傾向と諸現象とは、何人の心にも此不安を起こさせるに十分である。

 そして、それらの傾向と現象とによつて、将来日本は何うなるかの問題に對するとき、其想像は、各人各様であらうが、大體において、一致した方向に想像が向けられて行く。而もそれは『さう悲觀するに及ばない』といふことである。

 今日、日本國民をして、自由に『日本の将来が何うなるか』の問題に對して、其の豫想を投票させたならば、少くともその投票の九十パーセントは、必ずや此の點において一致するであらうと信ぜられる。何人にせよ、自己の将来を悲觀的に考へることを好まないと同様、光明的将来に自分を見出さんとするが人情であると同様に、苟も日本の國民である以上、自國の将来を、悲觀的に想像することは決して好まないに遠ひない、よりよき状態における日本を期待するのが愛國の情である。

 それを代表する論者は言つてゐる。日本は特殊の國情を有する特殊の國家である。その建國の歴史において、その國民性において、諸外國と同一に論ずべきでない特殊の多くを有してゐる。従つて日本の将来は、さう悲觀するに及ばない。-と。併し、さう雜作もなく片付けてしまふほど、果して譯も雜作もない問題であらうか。

 また戓る論者は言つてゐる 将来日本が何うなるかの問題は、人類社会の進化に伴ふ現象であるから、今日より豫測することは實際において不可能であるーと。これを言ひ換へれば、つまり、われ/\が何時死ぬかは死んだ時でなければ分らぬといふのと同じである。

 併し不幸にしてわれ/\は、日本人として日本の将来に對して無條件的に一括して樂觀するほどに無頓着であり得ない愛國心の持合せがあると同時に何うなるか成つた時でなければ分らないとして分らぬまゝに放任しておくわけにはいかない人間性をもつてゐる。そこに悩みがあり不安が起こる。日本國民の何人の心にも不斷に動いてゐる『日本の将来は何うなるだろう?』といふ不安は即ち夫れである。

 われ/\は、お互に、この日本の重大な不安と悩みに對して、無關心であることは、日本の國民として不忠實であり、人道心の麻痺である。われ/\はお互に不安と悩みから脱すべき何等かの答案を作らなければならない。日本の将来が、悲觀的暗黒的であればそれとして、また觀樂的光明的であればそれとして、われ/\の進むべき完全な道路を開設しなければならない。少くとも私はさう信ずる。そして此の日本國民の進むべき道路開設について必要なことは、顯微鏡的研究と望遠鏡的研究である。

 顯微鏡的研究は、われ/\”の不安と悩みを、より多くする以外に役立つものでない。同様に餘りに望遠鏡的研究も、われ/\の不安をより大ならしむる以外に効果を見出し得るものでない。日本の将来を極度に悲觀し、今にも國家顚覆するかの如く、狂燥的議論をする人は、多く顯微鏡的研究にのみ耽る人であり、またその反對に日本の将来を極度に樂觀する人は、望遠鏡的に日本の過去と将来とを觀測する人である。共にわれ/\は賛成し得ない。

 要するに日本國民として誰もが『好ましい問題』として觀迎しない此問題に對する解答は、そして最も正確にして最も信頼し得ると思はれる解答は、過去現在における世界及び日本の、政治、社會、思想、その他諸般の傾向と現象と、将来に對する進化論的推理想像とを經緯として、そこに見出す外はない。

 それが果して、何處まで的中するであらうかはまた一個の問題として保留さるべきであらうけれども、それ以外において、この不安問題に對するよりよき答案が作り得られないことは問題でない。

 この小著は、無論、この問題に對する一答案として、日本國民のすべての人々に捧げたものである。一部好奇家の興味の食物として書いたものではない。これだけは、豫めこの小著の讀者にお斷りしておく。

 政治的、社會的、思想的、その他の傾向現象の見方と、将来に對する進化論的推理想像の仕方の如何では、各々多少の相違した答案が出来るであらうことは言ふまでもない。その點において、著者は識者諸賢の腹藏なき叱正教道を辱ふせんことを冀ふものである。

大正十五年二月

著者

Chapter 41 Bearbeiten

 五國紐育會議の花が全く實を結ばないで散つてしまつたことは、米國多年の信條たる『金力はすべてに於ける最有力の解決者なり』が、見事に背負投げを喰はさ(れ)た悲劇であつた。人生萬事金の威光で鳧がつくものと高を括りたがる者には、よく斯うした滑稽なそして悲慘な場面が展開されるものだ。個人においてもさうした滑稽な悲觀が、眞面目くさつて演ぜられることがある。米國の此時もそれであつた。斯うなると、流石の米國も、藤村操を眞似て金力哲學も黄金の威力も何等のオーソリチーを値するものぞ、『大なる樂觀は大なる悲觀に一致す』なんかんと悲觀せざるを得ないわけだ。

世界一の武力は初めから問題にならず、賴みとした金力も見事に叩き伏せられ、聲はすれども姿は見えぬ一秘密結社の脅威にへこたれ、泣く/\斷頭臺上に立たなければならないといふのは、それが米國であつただけに、その哀れな姿が一しほ目立つたのであつた。

 濠洲とても、身から出た錆、己れが犯した罪の酬ひとは云ひながら、黄奴だの劣等人種だのと、輕蔑しきつてゐたその者の法廷に曳摺りだされ、思ふがまゝに裁判されて、手も足も出し得ず、出せば叩かれ打碎かれ、哀訴しても嘆願しても跳つけられ、白人濠洲主義面もなく、米國と同じく、不名譽不面目の有りつたけをさらけ出した揚句の果の此の醜態先祖代々から彼等の慘虐な笞に打ちのめされ叩きのめされ、その無情冷酷に憤怨骨髄に徹してゐた屬領地の土人などの中には密かに白鬼滅亡の祝盃を舉げたものも少なくなかつたといふ。

 哀れなのは米濠のみではなかつた。英國にせよ、露國にせよ、支那にせよ、何百億何千億といふ途方もない賠償金は、五十年百年の長期支拂なら兎に角、十年や二十年間には鯱鉾立ちしてもトンボ返りしても到底出来つこはなかつた。さうなると彼等は、何うせ己れ犯した己れの罪だ、斬り刻まれるも、絞め殺されるも因果應報とあきらめて目をつぶる外はなかつた。若しこれが、普通の國際問題のゴタ/\であつたら、彼等は決してソンナ殊勝らしい事は考へもしなければ、沈默しても居ない。相手方の不法暴戻を鳴らし、兵力に訴へても自國の正義を主張するのであるが、何といつても相手が魔訶不思議の秘密結社で、抗議じみた事でも言はうものなら、忽ち不可抗力的な暗殺や攫去の魔の手が伸びて來るばかりでなく、全國の都會が一時に燃拂はれたり爆破されたりするかも知れない、目に見えない神か惡魔を相手に喧嘩する樣なものであるから到底そんな事は言へなかった。實に赤誠圑は超人間的な神通力をもつた不可解不可思議な魔物として考へられてゐたのであつた。